Brand-New My Life in Perth 〜since 2014〜

三十路にて遅咲き人生のスタート。人生はホンマ何が起こるかわかりまへん。

異文化Communication

振り分けられたクラスは中級レベル。
みんなレベル一緒だから安心して楽しめるわよ、とマネージャーの女性。

AMEP初日。ドキドキしながら教室に入ってみるとそこはTHE国際交流の場でした。
日本人は私だけ。
英語を鍛えるには日本人のいない環境が一番なんよね?
まさしく英語の勉強する環境としては最高なんでしょう。
しかしセメスターの途中から入ったせいで完全なるアウェイをひしひしと感じる。治りかけていた人見知りが再発。
心細いったらありゃしねぇ。

クラスメイトは多い順に中東、東南アジアにアフリカ、中国の方々。そこに日本人(自分)、韓国人、香港人(敢えて中国と分けています)、スリランカ人、ポーランド人が一人ずつ。
中国韓国系の人たちとはお国が近い分共通の話題がいくらかあるのでまだ話しやすいんだけども、中東系の人たちとは何話したらいいんかマジでわからんかった。
宗教も日本人には馴染みのないムスリムさんたちやし文化もわからなければ文字もわかんねぇ。
中国は漢字でなんとかなるし、韓国とは韓流ブームのおかげで何かしら話題は見つかる。

私が大学の頃は欧米文化ばかり選択していて最終的なゼミですらもイギリス関連。
完全ノーマークだった(T^T)
正直興味がなかった...(ごめんなさい)
中東といえばあちこちで紛争が起こってて残虐な事件が日常茶飯事。
怖い、の一言が中東に対するイメージでした。
東南アジアもアフリカも完全ノーマークでした。

そして英語の授業はといいますと、先生はとてもわかりやすい英語で話してくれるのでありがたい。
リスニングはここ2年の間に幾度か行った田舎のバリバリネイティブオージー英語で鍛えられてたおかげでほとんど問題なし。
ただ、これがConversationの時間になるとクラスメイトのそれぞれのお国訛り英語になって非常に聞き取り困難になる(*_*)
でもみなさんそれぞれスピーキングとても上手なんよな...
スピーキングこそ日本人の最大のウィークポイントなんですよね(泣)

そしてさらに英文法も習うことになるんやけどこれが鬼のように簡単!!!
中学生レベルです。
基本のSVOに前置詞、過去分詞に受動態など。もちろん全て英語で習うわけですが。
たぶん普通に学生時代に勉強していれば日本人なら誰でも問題なしですよ。
ぶっちゃけ受ける必要性なくね?と思えるほど。
大学受験英語のほうが数倍難しいっス。

しかしっ!!
他のクラスメイトは案外文法で苦戦している模様..
え、なんで?と思ったけど理由はお国事情によるものなんだとあとから調べてわかりました。

33歳、学生(*`・ω・)ゞ、

いくつか前のブログでもちらりと言った通り、永住権とそれに準ずるビザ保持者はトータルで510時間分無料で語学学校に通うことができます。
もちろんどこでもいい訳じゃなく政府が運営する専用の学校ね。

AMEP (Adult Migrant English Program)

といいます。
幸い今住んでるシェアハウスからたった2駅先にその学校があるので、日本から戻ってきてすぐ申し込みに行きました。

しかし、ここでひとつ注意点。
もしその学校に通いたければ通常はパートナービザが下りてから6ヶ月以内に申し込みにいかないといけません!!
私の場合ビザが下りてからギリギリ半年過ぎてしまいました(-_-;)
もう、ダメもとで突入したよ(笑)

受付でハジかれると思ったけど面接してくれるとのこと。
白髪がステキなジェントルマン(日本滞在経験あり)が面談してくれました。
レベル分け用の軽いテストも。

英検の面接試験みたいな短い文章を読んで質問に答えた。簡単w
次に新聞記事を黙読して、質疑応答。
ちょっと難しかったけどなんとなくは理解できた。
ラストは自分についてサーっと書いてみて、とライティングのテスト。
決して難しくのない試験だった。
ビザ申請時のほうがよっぽど頭ひねったわ。

あとは本来ビザが下りてから半年以内が期限なんだけど過ぎてしまった理由はあるのかな?と。
そもそも半年以内ってことを知らなかった、ということと、ビザが下りてからすぐ旦那の仕事で日本にいて、それで結局半年過ぎちゃったということを説明。

ふんふんなるほどーと聞いてくれてあとは移民局にいけるかどうか確認するので待ってて、返事は後程連絡しますと言ってくれました。

それから5日後、オッケーが出たのでオリエンテーションするからまた来てね、と言っていただけました。
そしてすぐ学校にいくことに決定。
なんとしてもタダやから気持ちもすごい楽。
そうして三十路女は再び学生になりました。

ハイライトin Japan

日本での4ヶ月何しとったんか簡単に書こうと思います。

帰国して1ヶ月くらいは地元でのんびり遊びまくってました(笑)
旦那は旦那の実家へ、私は私の実家へ。
いわゆる別居婚ってやつですか?
ほんとはもう少し早くに高知へ行こうとしてたけど旦那の仕事関係の書類がなかなか整わず予定より遅くなった。
東京にも遊びにいって超楽しんだ。

高知へ行ってからはほとんど家にいたなぁ。
行くとしたらお風呂やさんか買い物くらい。
旦那は免許はオーストラリアのしか持ってないので運転できず、私はそもそも免許すらなかったので移動はもっぱらチャリで。
周りの人にビックリされたけどチャリで疾走するのは大阪じゃ当たり前やからそれにビックリしたわ。
バイトに応募するも短期では雇ってもらえることなく、結局専業主婦に。
このままやとアカンと思って一念発起して高知の自動車教習所へ。
短期コースを契約しほぼ毎日教習所へ通う日々。
詰め詰めスケジュールの上に進むスピードも早くて追い付くのに必死だった。
冬の寒い中クリスマスも返上、クリスマスイヴには生きるか死ぬかの高速道路教習。
教官の先生方はみなさんいい人ばかりで引っくるめると教習は楽しくていい思い出になった。
ストレートで卒業できたんは奇跡か。

お正月明けに地元の大きい試験場で本免試験。
これまた奇跡のストレート合格。
晴れて自動車免許をゲットすることができた。

途中まさかの高知での積雪に驚き、1月後半に旦那の短期の仕事も終了し、オーストラリアに戻るまでしばしの休息。
ドライブの練習にレンタカーであちこち行ったけどとにかく怖いのなんの。

しかし高知は初めて行ったけどなんですかあそこは!
何食べても美味しいとか、なんなの?!
野菜も肉も魚も果物もパンもお菓子も全部美味しかったっス。
おかげでオーストラリアに戻る頃にはエライことになったっス。
魔性の土佐グルメをたっぷり味わいました...また、行きたいです。ガチで。

やっと終わった。

パースでのおバカ騒動から約10日後。
ACTの連邦警察より無犯罪証明書が届きました。
結婚証明書のほうも田舎に戻ってからすぐ旦那の上司様(ダンディーオージー)の二人分のパスポートをスキャンしてもらいいつでも引き取りできますとのこと。
再び週明けにパースへと赴きました。
今度はパスポート、申請代金を何回も点呼を取って。
そして一緒に無犯罪証明書も携行します。

再び1000km下ってパースの日本領事館に到着。
そういえばあの時○ー○ェパードの団体が領事館前でデモしてたよ。ちょっとドキドキしたわ。
お昼には終了してたけど。

ようやく結婚証明書を受け取ることができました!
その足でそのまますぐご近所にあるWA州の移民局へ。
無犯罪証明書も一緒に携行していたのはこのため。
クライアントナンバーと私の名前を書類に書き、担当者のDamien宛に追加書類であるということを明記してファイルに入れ、提出。
すぐさまDamien氏にも提出の報告。

やっと、やっと終わった...

と全ての力を使い果たし、田舎へと再び戻りました。

それからおよそ1週間後の2015年7月16日、
1通のメール。
おそるおそる開いてみると

「Visa Grant Notice」

と書いてある!!!てことはビザがやっと下りたんだー!!ヤッホーイ☆ミ
とその日ずっと小躍りしてました。
旦那も一緒にお祝い☆
これでこれで仕事ができるし選択肢も広がる。
無料で行ける学校もある。
そして出入国が自由になるから日本へも堂々と遊びに行ける!!

年末の予定をウキウキで立てようとしてたけど、旦那の仕事で思ってたより早く日本に行くことになりましたとさ。
ビザが下りて2か月後に早速出国(笑)
旦那は仕事、私はホリデー。
およそ4ヶ月半も日本に滞在してました。
もちろん旦那の仕事についていきましたさ。
四国は高知県へ。
初上陸です。しかし周りは日本人(当たり前)、言葉に不便などあるはずもない。
交通機関はちょっと不便でしたが(ごめんなさい)。

ヘタこいた in Perth

ながーい旅の途中、知り合いの家にも泊めてもらって、翌日朝にパースの日本領事館へ到着しました。
申請に必要なのは申請書と戸籍謄本とパスポート。
申請書は現地でもらうとして、
戸籍謄本は旦那の実家にお願いしてエアメールで届けてもらった。
パスポートを用意しましょ...ってあれ??

パスポートがないっ!!

遥か1000㎞下って来たのに痛恨のミス( ̄□ ̄;)!!
とりあえず相談してみよう、何か方法があるかもしれないと前向きに考えつつも、アホまるだしで日本領事館の中へ...

「あのー、婚姻証明書お願いしたいのですがパスポート忘れちゃいました...」
と言ってみたものの、それではまた持って来てください、と当然の答え。
しかし現在パースを離れてド田舎にいることを説明すれば、
「あ、ではパスポートをスキャンしてFAXで送っていただいて結構です。
証明書お引き取りの際に原本をお持ちください☆」
とベテランらしき女性にお助けいただきました。
もちろんこれは地方在住者のみであってパース近辺在住者には無効です。
証明書は郵送できませんので必ずご来館くださいね♪
ですって。また1000㎞かけてこっちに来なあかんやん(-_-;

そして担当者のDamien氏より再びメールが。
「無犯罪証明書が届きましたありがとう。
でも、WA州の無犯罪証明じゃないんスよ。

ACT(キャンベラ)にある連邦警察発行

のじゃなきゃダメだよ~。
申請はネットで出来るからURL貼っとくね~」
ですって。なんだとう( ̄□ ̄;)!!

ダブルでヘタこきました(笑)
それじゃあ期限の30日以内に間に合わないので、慌ててDamien氏に提出期間延長のお願いしました...。
一部は届いたので大丈夫だよ、着いたらまた送ってねと言っていただいたのでひと安心しましたが。。

マジでヤバイと思いました(笑)

from Damien(審査員決定)

およそ1ヶ月後の5月下旬、審査担当ご本人様よりメールにて追加書類のリクエストがきました。
こんなのは想定範囲内♪だけど私がオーストラリアに住んで1年が経ってるのでオーストラリア警察の無犯罪証明も出してください、と。

期限は30日間!よろしく!!

だってさ。
ハイハイわかりました~と郵便局に行って申請書をもらい、即座に郵送申請。

あともう1つ、あなたたちの結婚証明書も必要ですよー、と。
え、ちょっとまて。
日本では結婚証明書なんてものないわよ。
婚姻届出して戸籍ができたらそれで終わりなんスけど。

と思ったがパース日本領事館のサイトをググってみたらちゃんとそういうの発行してくれるんやん!!
でも郵送申請できません、ネットでの申請も受け付けておりません。

ということは...パースに行かなあかんがな!!
これを北に行く前にわかっていたならこんな手間かからんかったのにアホです、私。
仕方ないからパースに行きましょう。
旦那の仕事を調整してもらい、週明けに領事館に行くことになりました。
片道1000km、およそ2日かけて...。
ついでに日本食のスーパーで買い物もして、カラオケにも行ってせっかくやから旅行気分で楽しもうと励まし合いながら行きました。

about 10 months later...

ビザの申請を終えて移民局からの正式な受領メールを受け取ったのが数日後。

そこからしばらく放置プレイされました。
観光ビザがブリッジングAビザに切り替わってから数ヵ月後、今度は年越しで日本へしばらく帰省するべくブリッジングBビザに変更。

約一ヶ月のホリデーを楽しんだ後に再びオーストラリアに戻ってきました。
何事もなくノホホンと過ごしつつ、旦那の短期の仕事で北の田舎町に行こうと準備していた頃に移民局からのメール。
「そろそろビザ審査の担当者が決まりますが、書類は全部出しましたか?」という感じ。
本来はもっと長ったらしいメールで読むのめんどくさかったです。

まぁある程度は出したし、もし書類追加のリクエストが来てもすぐに送れるようにスタンバイはしてるし、きっと大丈夫よね~☆

と呑気に構えたまま車で北へ向かい、片道1000kmの砂漠の中の田舎町まで行きました。
そこではおよそ4ヶ月ほど滞在し、再びパースへ戻るという予定でした。
何回か来たことのある場所なので知り合いもたくさんいるしとても楽しい日々を過ごしておりました。
バカを見るのはその約1ヶ月後。。。